お茶でもお花でも道とつく。
その道とはすなわち「修養」だ。
日本ではそれは「礼の心」ともいわれてきた。
だが師匠クラスでも、とても修養になっていると思われない人もいる。
意地悪く、欲深く、傲慢で人に対しても好き嫌いや分け隔てが激しい。
武道も同じ。上達しても「礼」の心を失えば乱暴で粗野になるだけ、強い分だけたちが悪い。
仏道でさえそうだ。
ただ小利口になって生半可な知識で人を煙に巻いて見下し優越感に浸るだけ。
己の人となりを研鑽する修養の心がなければどれも道にはならない。
そうなれば仏道もただの道楽のレベルだ。
お経も端唄小唄も変わらない。
密教修法もただの「ままごと」だ。
道楽なら道楽でもいいが、それを「道」とはき違えてはいけないだろう