森喜朗元首相は7日、東京都内で開かれた自民党議員のパーティーで、東京五輪・パラリンピック組織委員会会長を辞任する原因となった自身の女性蔑視発言への批判を巡り不満を表明した。「女の人はよくしゃべると言っただけだ。本当の話をするので叱られる」と述べた。「本当の話を政治家がしないから、世の中がおかしくなっている」とも語った。
このひと、どれほど悪い方でもないけど…ま~昔の方なんだと思う。
はっきり言えばオリンピックの中信的な役割を想うなら人事として適当ではないよね。
他の機会にもある女性をして「女性にしては年取り過ぎ」というような訳のわかんない発言をされた。こっちのほうがまずい。
森先生の方が年寄り過ぎだ。実年齢でなく能力的に荷が重い。
長老格の年寄りにやらせておけば誰も文句いわないろうというのはもう昔のことだ。
ましてオリンピックという場の国際的役割だ。
だが一方で私が思うのは、なったものをやめさせるほどのことでもない。
そのほうがひとの名誉を傷つける行為だろう。
謝って訂正すりゃあそれでいいじゃないか。
断罪して「私たちもとんでもない発言だと思います」みたいなデモンストレーションかな。
こんなことで一々女性蔑視だなどと寄ってたかって袋叩きにしたうえ、引きずりおろすおおらかさのない考えのほうがはるかに嫌だな。
最近は「貴様、蔑視発言をしたな」という憲兵や紅衛兵のような人たちがいる。
だが、コワいからすぐ謝る奴はもっともっとイヤだが。
だがこれは世間のお話。宗教は別だ。
たとえば私も大峰山に女性修行者が上ってはいけないと考える。
だれが何と言おうとこの考えは改めない。
勿論謝るなんてへそが茶を沸かす
なぜか?女性蔑視?
いやいやそんな理由ではないからなのだ。
古来、わが国でも女姓が聖なる役割を担ってきた経緯は少なくない。
男性より多いくらいだろう。
なにせ日本で一番偉い神様は女性なのだ。
なら大峰山の女性入峰は何故反対するのか?
そこに役行者のお決めになったことを修験の徒が守るのあたりまえという以外理由は一切ない。山上が岳に現れた弁財天でさえ天河に移された。
※修行でない一般の女性の大峰登山は構わないと思う。修行者も女性が入れないのは山上が岳だけだし。
もし宗派で女性行者も大峰山上の修行に行けるようにするというなら断固反対する。
女性は山上が岳へ行かなければいいというが、それでは七十五靡きにいったことにならないからだ。修行として意味がない。
登るならほかの弥山などの山を単発で登るのはいいと思う。弥山には天河弁財天の奥社もある。
だからたとえ女性の修行参加がOKになっても役行者様の手前、門下の女性には入峰は絶対許可しないつもりだ。
行きたいならわが門下をやめてからにしてもらいたい。
同じように沖縄に男がいってはならない聖地がいっぱいある。
だが、それが信仰の伝統だ。男性差別などとは微塵も思わない。
沖縄には沖縄の信仰がある。
そんなとこにジェンダーの考えを持ち込むのは大峰同様伝統文化を踏みにじる考えだ。
宗教行為にジェンダーフリーは関係ない。