金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

職業の代わりはいても私の代わりはいない

養老孟司先生の「ヒトのかべ」という本を買いました。
わたしは養老先生は「バカの壁」がヒットした東大の先生だった方だくらいしか知らず、どちらかというと愛猫まるが好きてテレビを見たことから始まります。
NHKの「養老先生ときどきまる」という番組だったが、見ている私的には「まるときどき養老先生」という感じだった。


電車の中で少し読んでみた。
全部は読んでいないからさいごの結びはわからないが、冒頭に見る限り、養老先生は解剖学の第一人者でありながら自分の仕事が果たして世の中で価値があったかどうかというと否定的なのだそうです。

私も「先生が死んだら頼りがなくなります。どうか長くお元気でいて下さい」といわれたりすると、まあお世辞に決まっているのに・・・「いやいや、私の代わりなんていくらでもいますよ」と言ってしまう子供じみた自分がいる。


正直それだけ自分は社会に必要な人間とは思っていないのです。
だからに真に受けてそういう間抜けなことをほざくのだろう。われながら幼稚なことよ。

しかし、そこは措いて実際問題、世間様の役に立っているか?そこを考えたら甚だ怪しい。
まぁ仏教に関心ある人に少しばかりあるか知らないが。

だけどじゃあ羽田は自己否定的なのかというとそうではない。

なんとなれば私は世間様以前に自分自身の為に仕事をしているからなのだ。

たとえどんな仕事でも変わりの要員はいるだろう。
だが考えてみて欲しい。自分自身の代わりはないのだ。
その人を求める人たちだって代わりなどいない。客という言い方でくくっているが。
それは概念であり求めてくる人たちは厳然として一個の人間だ。誰も一人としてかわりなどない。
人間の価値はそこにこそなくてはならない。

だからまず自分のために仕事をし、生きる。内容が良くてもしょぼくても。
それで全然いい それで正しいと思っている。