厳密に言うと霊能のある人自体をきらうということではありません。
ただ「霊能は主観の世界である」という認識がない人が断定的にものを言う態度を私は嫌います。
そしてなによりも本物ならまず自分がそれを活用してよくなるはずです。
概してホンモノは世間一般には秘して能力をやたらに語らないものです。
だからホンモノほど一見わからない。
霊能が本当にある人なら互いになんとなくピンときます。
霊能者同士が出会えば霊能を増幅しあうことがあるからです。
たとえ霊能があっても、四六時中体の方々が調子悪い、人間関係もガタガタでもめるという人は霊能者ではなくそれは霊障者でしょう。
また、世間でいう霊能者の先生が主宰する道場の多くは依存型で自分でものごとを決められないどころか、決めてはいけない。決められない人の集まりと化しているところが多くある。
そんなのは知恵を求める仏教とはまるきり反対で「愚婦愚民の養成所」みたいなものだ。
昨日、聞いた話では霊能者の先生のツアー霊地に行ったら、「あんたには霊がついています!」といわれてお祓い代わりに現地に流れる川の水まで飲まされた人の話を聞きました。
こんなのでお腹こわしてもだれも責任は取らない。
腹下しになれば「霊が出て行った、デトックスになって良かったわ~。」というくらいのものだ。
本当の使える能力がない、祈願も霊術もできないからそういうことしかできない。
そういう思い込みの霊能者が多い。
ただ人を言いなりにすることに味を占めた人間です。
それで信徒がいいなりにならないと激怒する。
そういう信者が何か災いに見舞われると「私の霊能の指導のようにしないからだ」と見せしめにして喜ぶ。裏切り者扱いです。
さらにこういう先生のもとで指導を受けて癖になった人が影響されて「私には○○がついているのでとってください」とか「○○さんから呪われているので呪詛返してください」などと断定的にものをいう人も出てくる。
つまるところそういう方は自分で診断から処方箋までもって医者にやってくるようなものだ。
それがそもそもおかしいのです。それを指摘してもわからない。
何故そう思うのかを聞いてもキレて怒るものもいる、こうなったらもう相手などできません。
そういう話を持って人が来たら、初めから私はどう断るかしかこっちは考えない。
だから門前払いにするのです。
こういうのは一種の病なのです。
しかも放っておくとほかの信者さんにも移る。患者に近い考えのバカな人から先に感染する病です。
腐ったミカンはミカン箱に入れちゃだめです。
愚かな人ほどそういうのに憧れるのです。
そういうのに免疫ゼロな僧侶、神官などは霊感者がたまさか信者になると、自分のもとに心強い味方ができたように喜ぶが極めて愚かなことだ。
悪くすると毒蛇を仏殿や社殿に放つようなものだ。
そういう人を野放しにすれば聞かれもしないのにしまいに住職や宮司にまで物申す。
それの言いなりになれば寺社は伏魔殿となる。
だから私はそういう人間がでれば直ちに追放です。
私のもとにも昔はそういう人がいて「いつか 先生は私の霊能を本物だとわかってくれる」というような愚かな期待をしている人がいましたが病人としか思わない。
霊障が体に及んで声がする、この世ならぬものが見える。という人には先に精神病院へいくよう勧めています。