天松居士は金剛般若経の核心は「無我相」の「三字」にありと確信せられ、その実践として無我相禅と無我相の唱念を提唱された。
無我相禅は「無我相」の三時を唱えて禅定を行うものあり、無我相の唱念は禅定ののち、参禅者同士が坐して向かい合い「無我相」と大音声で喝するものである。
そのすさまじい声で東京道場の窓ガラスがびりびりと振動したそうだ。
私も20代の当時、池上の弁天堂で林天朗師の導きで参禅し、唱念も何回か修行した。
だから座禅と言えば公案を考えるでもなく、只管打坐でもなく、「無我相禅」をする。
しかして私には難解な天台の空仮中がそのまま空即無、仮即相、我即中と思えたのである。
今もってそう思っている。