私たちが死後の世界と言っているのは、死んだ方の記憶と「宙宇」にいる期間の霊の様子です。
それは次の転生までに待機しているところと言います。
それはまだこの世に近いんですね、
つまり死んで普通四十九日で納骨しますがその間、霊魂はまだ家にいるといいます。
四十九日終ると本当に本当のお別れ。
霊魂は次の旅に出ます。
ただこの四十九日というのは人により時間が異なり、強烈に思いを残すとその期間は長くなる。
亡くなった方のことがあれこれわかる人もいますが、それは多くの方は亡くなった人の残した記憶や念を読んでいるんです。
そういうものに感応する人もいます。
でも亡くなった人がいつまでもずっとそこにいるわけじゃない。
霊界では‥‥と多くの人が言っているのは転生の旅に着くまでのその人の記憶ですね。
転生する先は無数無辺の世界。
とても把握できない。
以前、猫ちゃんお御供養したら「悲しまないで、とても楽しかったよ!」というメッセージが来た話をした。でもこれは宙宇にいる間の置手紙のようなもの。
転生したらもう私なんかのわかる領域ではない。
同時に何人にもわからないのではないかと思う。
釈尊のような宿命通の人を除いては、
でも供養というのはすごいものでどこに行こうと繋がる。
行き先を知らなくてもつながる。
それが本当に本当にすごいことだ。
貴方のこの間亡くなったおばあちゃんはと隣の町のある家で赤ちゃんとして生まれていいるかも。
ひょっとすると人間には見えない鬼神や精霊になっているかも。
お互いに全くわからない。でも供養は通じる。
天台大師の言われる「一念三千」とはその理を言う。
それを想えばあらゆるものに供養の合掌をしたい気持ちになるのではありませんか?
だから供養はしなくちゃだめだと思う。
独りを供養することあらゆる存在の供養につながるのだ。
自分自身の供養にも。