最近、夢の中で光明真言唱える場面が多い。
別にとりわけ深く光明真言に思い入れはないのだが、これも縁なのだろう。
仏縁同様、真言やお経にも縁というものあるのだろうと感じる。
夢の中では恐ろしいものも 癒してあげたいものも みな光明真言。
今日は今朝方は大部、昔に亡くなった猫のミーコが来た。
大部手を尽くしたが亡くなった。
雑種で長野のデパートの店頭でお好きな方もらってあげてくださいとあったのを母がもらってきた雌の猫だ。
手元にきてゴロゴロいうので光明真言でお加持してあげた。
そんな夢で目が覚めた。
光明真言の梵字が一つ一つ額に浮かび、手から強い金色の光が出る夢だった。
ああ、そうだ。光明真言だ!
そんなこともあり今朝は飯縄様に不動尊の光明供を修した。
飯縄様はとりわけ光明真言を御納受されるという。
飯縄法も光明真言で修するものもある。
なお、天部はみな光明真言を喜ぶが、とりわけ大黒天、歓喜天は御納受あるという。
大黒天は大暗黒天ともいうので光は欲しい。
したがって供養法に光菩薩の印を結ぶ伝もある。
普段の供養は本尊真言と光明真言、般若心経などでいいだろう。