明確に移民政策に反対する。
外国人自体が嫌いとか言う好悪でいうことではない。
なにより、大量移民政策に反対するわけは、移民の人たちが増えてくることにより日本が多宗教国家となることが忌まれるからだ。
単に多宗教というだけでなく外国人との婚姻が増えれば仏教や神道は大きく力を失うだろう。
ただでさえ宗教においては寛容と言うより無関心な民族だから強い一神教があいまいな多神教を駆逐してどんどん勢力を延ばす。
オーストラリア人は墓場で塔婆を引っこ抜き、供物を食らって暴れてもまったく無反省なのは周知のとおりだ。
キリスト教の世界観を持つ彼らにとって日本の宗教習慣など尊敬する理由はほとんどないのだろう。
ネットでは知られれているが、これをテレビ局は絶対放送しない。
移民政策に水差すからだ。
それが情報操作が当たり前の日本のマスコミだ。
だいたいにおいてイスラムやキリストが入った国はそうなっている。
特に過激な一神教は他宗教を攻撃することを是とする。
神のためだから容赦ない。東洋の小国の宗教や文化など無用の長物なのだ。
住めばそこを自分たちのいいように改変するのは普通の心理だからそうなる。
ましてや国民でもない外国人に参政権などもってのほかだ。
絶対に容認してはならない。
熱海市では中国人の市議候補が立って、公然と皇室否定論を叫んだ。
日本にも宗教はどうでもいいと思う人もいると思うが日本文化の根幹は多分に日本の宗教にある。
この勢いが増大すれば全てが前世紀の遺物になりかねない。
皇室の崇敬さえも宗教的には日本神話に基盤があるのだから危うい。
異民族が増大すれば皇室は日本の象徴ではなくなる可能性もある。
私にとって移民反対は日本文化の防衛であり、霊的国防である。
日本が日本であるためにこのことは言い続ける。なぜか?
みんな容認しちゃえばいいじゃないかと言うかもしれない。
だが、それでは我々の先祖に申し訳が立たないからだ。
日本でなくなることは。
たとえ、差別主義者、レイシストと呼ばれてもこのことを言うのは少しもやめない。