金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

十一面様の怖さ

よく聖天さんは怖い神様というけど、本当は十一面様の方が怖いんだと師匠は言いました。
私も最近特にそう思います。
十一面様の怖さは聖天様のように罰が当たるとかどうとかじゃない。
怖さというより「厳しさ」です。
十一面様には色々な顔がある。如来の顔や慈悲の顔もあるけど、牙をむいた顔や怒った顔、舌を吐き、あざ笑う暴悪大聖面もある。
此れって全部私たちの周りの社会や人々の顔ですね。
良い顔ばかりしてはくれない。運命の顔と言ってもいい。
そういうお顔が手心もなく展開する。
それじゃ何にも信仰してもいいことないんじゃないの?
そう思う?
十種勝利、四種果報とはいいいますが、たしかにただ簡単にご利益くれるという仏じゃないですね。
甘えさせてはくれない観音様です。
いくら行法していてもある瞬間が来るまでは全くこちらに向き合わない。
全く知らんふりの観音様。完全なる沈黙。完全なる無視。
だけどある瞬間から強いお働きが始まる。
だから、それまでは来る日も来る日も十一面法をもう祈り続けるだけです。
ほかの手立てはない。

この仏様の最大の御利益は私たちに修行の心を教えて下さるということです。つまり師でもある。
つまり、人生のさまざまな局面、そういったものの奥に本面のお顔、観自在菩薩の円満なお顔を見失わない。それが十一面観音様の信仰ですね。
だから甘くないですね。

聖天さんがこの観音様に随うのも深いそうした智恵の導きがあるから。その英知の光で聖天尊は導かれている。その英知の光が欲しくて観音様に随うのが聖天様。
ほれたはれたはまあ、おとぎ話です。
「聖天様は頑是ない子供みたいなところがある。だから皆さんにご利益あげて喜んでもらいたい。どんなものだといいたいのが聖天様。でもそれに待ったを掛けるのは十一面様だね。」とは師匠の言葉。
だから本当に厳しいのは聖天様でなく十一面様。
十一面様から離れてしまえば、聖天信仰は寄る辺を失う。
ご利益はあるかもしれないけど、ご利益満載の船で波風にあって簡単に船はひっくりかえる。
だから真実、必要なものを適宜積載せよというのが十一面様です。
それはいらないだろう。置いておけというのが十一面様。
なんでもやろうではない。