下のシータ・ラーマさんのブログ記事はとても興味深いです
ガネーシャ神は言うまでもなく聖天尊のルーツです。
この記事ではガネーシャが障礙神であり、除障神でもある理由が語られています。
インドラ神の前でガネーシャが立てた誓いは悪を行う人には妨げの神となり、善を行う人には除障の神になるというものです。
いつの間にかあれほど鋭かった聖天様の御加護がパタリとなくなって困ったことになったなどというのはこれでわかるかもしれません。
聖天様は御利益は大きいが怖いというのもそういうことからいうのでしょう。
逆にいつの間にか障礙神に変わってしまったと思うのは、変わったのは聖天様ではなく。自分の信仰のありかただと知るべきです。
聖天信者はここを理解せねばいけないと思います。
なんでも叶う聖天様と言いますがそのご利益は借り物です。
御利益というお宝を貸してくれるのです。
それを本当のものにするには善事に励む事しかありません。
聖天様はその大きなご利益に浴して増上慢になれば今度は障礙を起して罰する神となります。
そこを戒める一つの大きな方法は大乗菩薩道の十一面観音の信仰を背後にしっかりもつことだと私は思います。
聖天信仰の大きな御利益で先代が築いたものを、信仰の全くない後継者がすべて失うというのはよくある話です。
ご利益の継承は信仰の継承でもあります。
これは間違いなくそうなります。
しかしそうすることでより多くの間違いをすることを防いでくれるのも聖天様です。
聖天様に調伏悪呪という真言がありますが、これは悪人の繁栄や悪事を妨げて行えなくすることを言います。
調伏と呪いは違います。
密教でいう調伏することは相手の悪を除くことが目的でダメージ自体が目的ではありません。
善化し改めれば止むことです。