以前、存じ上げないアロマテラピーをしている方から「ガネーシャさんのお像があるので毎日アロマの香油をかけています。
聖天さまのルーツはガネーシャさんですよね。聖天さまに浴油の祈祷があるのですから
そういうことてして悪くはないですよね?」という電話。
聖天尊のルーツは無論ガネーシャだろうが・・・ガネーシャはヒンドゥーの神。聖天様は仏教神。
扱いもまた異なる。
「いいでしょう!」と言ってもらいたかったのかどうかは知らないが「さあ、わかりません。どうなさろうとそれは私のあずかりしらぬこと」と答えた。
無論「やめろ」という権利もなければ「良い」と許可する立場でもないからだ。
これが聖天像なら「浴油祈祷の真似事はのつもりなら素人のするものではないです」とはいうだろう。
考えとしては察しはつく。
こういう人にとっては「ガネーシャと聖天は同じ神様なのに…」という考えなんだろう。
でも違う。
どういう信仰でそれを拝むのかで違うのだ。
逆に言えば聖天か、ガネーシャなのかは信仰の違いでしかない。
サラスヴァティーか弁才天かもそうだし、吉祥天なのかラクシュミーかもそうだろう。
ガネーシャだと思うならヒンドゥーのやり方に学ぶべきだろう。
思うにこの方はどっちでもないのだろう。
だが立場が違えばあり方も違う。
確かにインドの街角では石のガネーシャにミルクだの香油だのかけているのは知っている。
だがそこに私から見た「良い」とか「悪い」とかはない。
もっといえばキリスト教でどういう時にどう祈るのがいいのかは私は知らない。同じことだ。
大体その良いか悪いかもどういう意味で尋ねているのかわからない。
つまるところ話からは尊像はインド産のガネーシャなんだろうだが、この人がお祀りしているのはガネーシャでも聖天でもないのだ。
この人流の象さんの頭をした福の神でしかないと言っておこうか。
なら何をどう供養するかは本人の自由だ。
私の意見やましてや許可など意味ない。