金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

聖天行者になりたい方の必読書

最近、聖天様の祈願を志す若いお坊さんが増えたように思います。
大変結構なことですが、単に自行や寺内鎮護のために供するなら、そうやかましいことはないですが、祈祷として月々修することはなかなか大変です。

まず一生祈祷できる間は修していかないといけない。
亦、聖天様にお誓いしたことは果たさないと障礙になります。だから誓わないならいいんですが、それでも終生お祈りするということは原則としてついて回ります。
本気でやるなら葬儀中心のお寺は難しい。だって七日間の浴油を途中で中止はできないですから。
かといって檀家の葬儀をボイコットはできません。
だからお坊さんが何人もいる大寺では専門の行者、さもなくば副住職さんの役目だったことが多いですね。
葬儀中心でするならひと月に一座行法位できれば上等です。
あるいは本地供で十一面観音供をするとか…。
でも祈願中心でするならやはり浴油が必須だと師匠は言っていたけど、私もそれは感じますね。

私の知るある大僧正様はもう90歳前後ですが、この間まで浴油をされていました。この方はさる大寺院の長老であられ、一般の祈願でなく、ながらく一山安寧の目的で修していらっしゃいました。
でも「多羅」を取り落としてからはもう危ないので止められたそうですが、(結構重いんです!)それでも華水供のみは欠かさずに拝んでいると聞きました。
華水供に至ってははじめられてからなんと三万座を超えたそうです。
掌が合わさるお話です。

聖天様の祈祷を考えている方は生駒宝山時の湛海さんの伝記を読むことをお勧めします。此れを拝見すれば具体的にいかなる神様なのかがよくわかります。
湛海律師は江戸時代の聖天様の大行者ですが、この人だって決してすんなりと聖天の大行者になったわけじゃないですね。

始め不動行者を志していた湛海さん、聖天さんに出会い供養をしますが中途で戒律の勉強がしたくて「やっぱりやめよう」と心変わりしたり、それで聖天さんと喧嘩して障礙を受けたりして…紆余曲折、色々あってついに無比の聖天行者になられた方です。こう言っては何ですがとても面白いです。

私には失礼ながらも、湛海さんと聖天さんとは何度も喧嘩して、それでもきってもきれない縁のカップルの人生みたいにさえ映ります。
湛海さんと聖天さんの二人が織りなす泣き笑い人生です。
どちらかというと聖天さんに惚れられているのは湛海さんです。
だから、この話から思うのは聖天さんの御縁はまず、何より頂けるかどうかも大事な要件だと思うのです。
興教大師が「機縁の至り、感涙禁じ難し」といわれたとおりです。
聖天さんの修法の場合はただやりたいからやるだけでは進まないものがあるように思います。

聖天さんといざこざもありながらもついに一代の聖天大行者になられる湛海さん…。
それを余すところなく書いた「影山を下りず」(森下 等 氏著)という本があります。
聖天霊場としてあまりに有名な生駒宝山寺が出された御本です。
一般書的で読みやすいですが、此れから聖天さん修法しようかなという方はその前にこれを読んでおくといいですね。
私は湛海律師に全くくらぶべくもない凡下懈怠の行者ですがそれでもここに描かれている聖天様の性格はそのまま大いに頷けます。
誇張でも何でもないと思う。聖天様はこういう神様というのにこれ以上の好い資料はありません。
専門的には同じ宝山寺刊行の「寶山湛海傳記資料集成」という専門的な御本もあります。
どちらか是非、読んでおくことをお勧めします。
勿論、聖天信仰されている一般の方にもとても興味深い内容ですよ。