「西から大鷲が来る。私はやがていなくなるから、皆はその大鷲についていきなさい。」
ある日、大福生寺にゆかりの深い東京の霊能者、石川恵照師は信者たちの前でそう意味不明なことをいわれたという。
「その大鷲というのは白戸先生だったのよ」と古参の信者さんから私は聞かされた。
事実、石川師はその年の暮れに着物に火鉢の火がついて「火生三昧」のようにして亡くなられたそうです。
多くの人に慕われた優れた霊能を持つ女性だったといいます。
比叡山での数年ののち、師匠は山を下りて書道など教えて過ごしたそうです。
「東京の寺に行かないか?」というオファーがあったのです。
それが大井の聖天様である大福生寺でした。
一回目は断ったそうです。
一つには養子になることはできない。大西先生のところでさえいかなかったし。
一つには家相が良くない…などと言っていかなかった。
そうしたらまた別のところから話が来た。
それも同じ大福生寺でした。
当時、住職をしていたのは藤本真請師でした。
藤本師は私がお寺に伺ったころには病を得てもう寝ていらしたがこのころはまだお元気でした。
しかし、寺の後継者がなかった。
御子息はありましたが違う道に行かれた。
いくら探しても跡継ぎ手がない。
そこまでいかなくても聖天行者は普通大変とされていたのでなかなかなる人がない。
第一、怖い神様で知られた聖天様である。
当時は聖天様やるなら行者は精進で過ごして妻帯しないなどということが不文律のように言われていました。
藤本師はしまいに「あとやる人が誰も寺にこなかったらあなたが困るんですよ!私じゃなくて。」と本尊に訴えたそうです。
さすがの白戸師匠も当時37歳くらいでしたが、まだ結婚もしたかったし…と思ったようです。
でも聞いてみると藤本師も結婚されていて娘さんがある。その人をもらって欲しいという。
そして聖天供の間だけ獣肉は食べないというやり方でした。
これはわが一門のおきてとして祈願するものには今もそうしてもらっています。
でも、そもそも聖天尊というのがよくわからない。
不動明王が好きだった師匠はなんか聖天さんは魔物だというし、気にいらなかったそうです。
「・・・なんか好きに成れず嫌だった」といいます。
でも何度も言われるのは何か因縁があるはずと調べてみると、なんと自分の守護神である天満宮と聖天は同体とされる存在であるとわかった。
これは天神さんのお導きかも…。この一事で大きく師匠の心は動きだしました。
つづく