この前、母の絵の事で日光に行った時、輪王寺さんもお参りしました。
久しぶりに三仏堂に参ると横の方に十二支別の本尊としてすばらしい不動明王像があった。そう大きくもなくおそらく古くても江戸時代の彩色像である。
美術史家の多くには江戸時代と言うと優作でも鼻で笑い。平安や鎌倉時代というと木っ端のような仏像でも有り難がるので、どうだか知らないが・・・行者である自分の目から久しぶりに見て「いいなあ…このお不動さん」と思いました。
藤本師は聖天様のお寺に不動明王はちょっと・・・と思っていたようです。
この辺は人によって意見は分かれるように思うけど、私の感覚はむしろ毘那夜伽の障礙を除くという意味では不動尊があったほうが拝みやすいと思う。
日光の伊矢野師の伝は変わっていて前行は十一面法でなく不動法だそうです。
細かいことを言うならいくばくかの反論もあるが、多かれ少なかれモデルになった存在であることは間違いない。
聖天尊はもちろんガネーシャの仏教版
だとすると不動明王は聖天には極端なことを言うなら父に当たる存在ともいえるだろう。
息子に重要な示唆を与え、ときには注意するのがオヤジである。
三井流に至っては四度全てが不動尊が本尊である。
ことに私は長い間、祈祷と言えば愛媛の大西先生由来の「不動尊華水供」だけでやってきた経緯もある。昔は嫌というほど拝まされたので「もう沢山拝んだから、お不動さんはいいや」とどこかで思っていた。
最初に世の中に出る前の息子に色々教えるのはオヤジである。
わが師は不動尊大好きであったが「もし時々原点に帰って自行のための修法をしようと思うなら不動供をすることが大事だと思う。そしてそれは必要なことだ。」といわれた。
親父に意見を聞けというのと同じだ。
私も最近、一人前になった人が急に故郷のオヤジさんに逢いたいようにお不動さん。
拝みたくなる。