ネパール製のガネーシャと十一面観音。これは私が学生時代に購入したものです。師匠から得度を勧められて迷っていた時、たまたま原宿の街頭で売っていたので不思議な機縁を感じて買いました。
その日は母とインド舞踊を渋谷の「ジャンジャン」というシアター(今はないでしょう。)にいって見物する前でした。母が言うには「得度するというけどいろんな世界を見て人生を決めたらいい。趣向を変えて踊りでも見てみたら?」というので行くことに。 そうしたら冒頭ステージの上で大きな巻物がさがってきて、それがスルスルと開いて大きなガネーシャが出てきた。シンクロニシティという奴ですかね。
それで「もう逃れられないな。」と得度を決意した次第です。
ガネーシャ(聖天)はネワール族という部族の工芸だそうです。ネワール族は仏教徒が多いと聞きました。だからガネーシャというより聖天かも?
今はともに飯縄山に安置しております。
私は当時は大学生。
最初は別に「求道」というほどの考えじゃなかったんですね。
だから得度と聞いてもっと聖天様に近くなるという期待と、「エ、坊さんになるの?」という矛盾した思いがありました。
聖天さまに近くなればいいことあるかなくらいは思った。
宗教的な真理に関心はありましたが、今思えば早く言えばご利益もらいたいだけの人間。まあ、それがフツーですわ。
でもその考えはすぐにコテンパンにされました。 それでよかったんです。
つまり、ミイラ取りがミイラになってこの世界に入りました。
だからご利益信仰自体が駄目とは思わない。いけないのはそこから全く進歩しないこと。
ご利益だろうが、金儲けだろうが、真剣に考えればそこに「道」はつながってくると信じております。
在り方を真剣に考える。そこに道がありましょう。そう思っております。