広い意味では真言宗に属する「弁天宗」の宗祖だった大森智辨尊女は信徒に「弁天さまに好かれる人になれ」と説いたと言います。
智辨さんには松下幸之助翁はじめ各界の信奉者が多かった。宗教界の逸材です。
聖天様にも好悪があるという。
「嫌われたらおしまいだよ」と教わった。
どういう人が好かれるのか?
それは単的に言えば聖天様が好きな人です。
それはそうでしょう、相手を好きにならず好いてくれはあり得ない。
その好きというのはご利益くれるから好きとか、期待する好きじゃない。
子供が父母をを慕うような好きです。
聖天様と楽しむ心です。いかに真剣な祈願でもただただ悲愴なお参りは嫌います。
欲得あっての好きは片思いになります。
遊びが無きゃいけない。「神あそびの心」
聖天様と親しみ楽しむ心。
それがない祈りは余裕のない祈り、用件だけ押し付けるだけの無粋極まりない祈りです。これは男性に多いよね。無駄が嫌いで合理主義一辺倒の人。
そう言う人は一番嫌われます。
まごころがないから・・・
真心とは一切の条件だの注文だの計算だのをを外した心です。
女性は神遊びしやすい。巫女さんの仕事は神遊び。
無心になって神と遊ぶ。
一番嫌われるのは計算高い人。
心の冷たい人。
聖天尊を踏み台にしようとする人です。
天尊はそんなはお見通しです。
でも行者はそういう人が天尊に近づかないように目を光らせないといけない。
聖天信仰したいというけど「ああ、好かれないな。この人」と思う人は男女問わずいますね。