勿論この人は聖天行者です。
その人がある僧に聖天供を伝法することになった。
そうしたらお童子さんはそれを嫌がって恨み池に飛び込み死んでしまったという話。
常識から言えば肉体を持っている神霊がそばにいることはないから霊体なんですかね。あるいは阿毘捨(霊媒祈祷)をする聖天尊の寄り童だったのかも。
昔は拝む人ならそのくらいはしましたから。
心霊なら死んでしまうのもおかしいですからよくはわかりません。
兎に角深く恨み給うたそうです。
これ、普通考えれば神仏が法が伝わるのをいやがるのは変です。
護法神なんだから「令法久住」を喜んだらいい。しかも自分に関する法ですから・・・。
でも、歓喜天はそれだけ好き嫌いがあるという話なんでしょうね。
またある意味、気に入った行者には執着する尊です。だからやきもちみたいのもあるのかもしれない。
だとすると私の師匠はとても歓喜天に好かれた方です。
こんな話があった。
くちさがない信者が何人か集まって、ああだ、こうだと師匠に対する愚痴みたいなことを言っていたそうです。
そこにお弟子で霊能者のkさんもいた。一緒に悪くは言わないが居合わせた都合で聞くだけ聞いていた。
そうしたらそのあと、ものすごく聖天尊が怒っているのがわかったそうです。
えらく怒っているので怖くなってその日は逃げるようにお寺を退出したと言っていました。
「お前は弟子の分際で、師の悪口を黙って聞いているのか!」ということなのでしょうか・・・?
聖天様には好き嫌いがはっきりしているといわれます。
「嫌われたら無理だね」とよく師匠はいっていた。
経験から言えば口と腹の違う人間はやられるね。
不正直・ウソは一番駄目!
オイ、貴様の化けの皮ハイだろかってなものです。
嫌いな人は徹底的にこれでもかと排除してきます。
でも好きだからと言って行者の機嫌を取るために莫大な財宝をくれるとかいうプレセントはないね。残念ながら(笑)
そこは神様ですね。
行者に関しては願いはきかない。必要不必要は尊天が判断するのみ。
でもそうした聖天様を拝む行者はどこか聖天様と自分だけの「二人の世界」を持っているものです。
何尊の行者でも同じかもしれないけど、特に聖天様はそこに他人が入り込むのを大いに嫌う。
入ろうとするものは排除されてしまいます。
だから、たとえ家族のある行者さんであってもそこは、家族にはうかがい知れない世界なのです。
でも、そこの世界を大事にしないと聖天行者というものはやっていかれないと思うのです。