金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

ある女性行者の教え


まだ三十代の終わりのころ、あるとっても興味深い「お稲荷様」の本を見て著者に会いに行きました。
(今は珍しいのかこの本を本屋で調べたらなんと18万円以上するようです。)
名古屋から近鉄電車に揺られていきました。

何故興味を憶えたのか?
なぜならその本には天部信仰の行者の末路について実例が書いてあったのですが、どうもよくないようで心配だった。・・色々身に覚えのあることも書いてあったので気になりました。それで聞きに言った。

その本の中にも出ていたけど聖天や荼吉尼天の行者は人生そのものを任せてしまわないと天尊への裏切りになるというんです。

そして、その本に出てくるのはある荼枳尼天の行者さん。なんと、物品移動(アポーツ現象)のようなことまでできたというけど、末路はだんだん法力を失い術が仕えなくなってしまいにどこかに消えていった。
「どこにいったのかねえ・・・」と言われてましたが、実はその人が著者のお師匠さんだった。
そして師匠と最期に対決した霊狐から「お前も師匠の二の舞は踏むなよ。」と念を押されたとか。

さて、おあいしたら「今日は私の80歳の誕生日だ。その日に来たんだからあんたは私とは因縁があるよ」と言って随分歓迎してくれました。
女性の行者さんですが「大本教」や合気道の植芝守平先生の昔の話も出た。九字や術の話はもちろん。
本当の武産合気(タケムスアイキ)というのはね・・・と言う話も出た。

この方は習合系ですが基本は神道です。神社の宮司です。
最期に荼枳尼や聖天の行者は全部任せて余計なことは考えるな。私の師匠はね、ちょっと良くないことしたんだ。(実際なんなのか知りませんが・・・)
自分の老後が不安になってお金の備蓄にこだわったんですね。だから駄目になったんだという。…まあ、でも人としては普通考えますわな。
老後どうするか・・・。
だから要は普通の人間の考えではだめなんだということですね。
「あんたは聖天さんを拝むのかい。荼吉尼天も聖天さんもそこは一緒だ。行者なら拝んだら全部を任せて生きていくんだ。他は頼っては駄目だ。終いに私の師匠みたいになったんじゃダメなんだ。どんなに神通があってもそれじゃダメなんだ。天尊の心のまにまに生きていくのだ。わかったか。」と言われた。
最期にこれがうちの荼枳尼様だと拝ませてくれた。お像でなくお宮形式ですけど。
一人称が「オレ」の男言葉で話すすごい女性でしたが、確かそれから2,3年しばらくして亡くなられたようです。
それを風のたよりに聞きました。

お金も家族も当てにせず、天尊のみを頼りに最後まで生き抜く・・・
それってすごいですね。凄惨でさえある。
できるかな。
本当にそういう生き方が必要かどうかは今でも私にはわかりません。
でもその話・・・何となくわかるような気がしましたね。
そうしたかろうがしたくなかろうが、なんとなく天部の行者はそんな感じではあるなと今も思います。
私の師匠はご家族があった、熱心な信者も大勢いたけど、よく「行者の世界は孤独なものだよ。でもいつも見守っている存在がいるからね。」と教えてくれた。
厳しい方だったので私たち弟子には満足されかったのか、よく「私には弟子は一人もないのと同じ。親鸞さんが『親鸞は弟子一人もってはいない』というのと同じ心だよ。」ともいわれた。
ほとんど怒鳴らないけどそういう叱り方をされた。
・・・私は蓄えもお金もそんなにないし、身内は女房、子供も誰もいない。親戚もあまり知らない独り者だから、嫌も応もなしにそういう生き方になるかもしれませんね。

だって、ないものは便りようがないですもの。(笑)