果ては口伝、秘伝を話のタネにし、ネットにさらして物知りとうたわれたいという愚かな痴心を満足させようとするのみ。
こういう人間にものを教えることはかえって法の冒涜となる。
決してその教えを使いこなす日は来ない。
これは占いでも武術でも呪術でも術の世界は同じこと。
そういう人にあっては決して知者のふるまいをしてはならない。
死後、僧侶の遺品から印可状が出たりするらしい。
それでやっと「ああ、この人は印可得てたのか!」となるそうです。
慎しみとはそういうことでしょう。
中身のない奴は何でも外を飾る材料にしかしない。