金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

修養におそすぎはない。


昨日来られた信者さん、若いころ本当はお坊さんになりたかったという話。
「・・・今からでもお坊さんになれるものでしょうか?」という話。
50歳過ぎた方ですが既に三千仏の礼拝行を1週間で終え、34万遍の准胝真言を念誦している。人柄もきわめてまじめな方で礼節も整った方です。

僧侶は厳密には職業ではないから、「なるだけ」ならおそ過ぎるなんてことはない。
私は21歳で得度した時「もう年齢的におそすぎるな・・・」と師匠にいわれたけどね。スターウォーズのマスター・ヨーダに初めて会ったルーク・スカイウォーカーみたいに。(笑)
でもこれは行者になる話。
13歳から修行の道には行った師匠から見れたそういう実感だったと思う。
でも修養としての仏道修行に遅すぎはない。もちろん早い方がいいけど遅いからダメはない。
仏道修行は修養のものです。
だから人格がおかしい。メチャクチャとかはもちろんダメです。
まず柔和質直(人格が円満柔和ですなおで正直なこと)が大事
人も言っていることを聞かず、勝手な希望や自分の事情を述べて例外的に特例を希望するなどを言うなどというのも先が思いやられますから、もうその時点で即不可です。
罪障消滅目的もダメ、大乗仏教の修行は菩薩道ですからはそんなチンケで消極的な目的でするもんじゃない。行が泣くわ。

孔子様は「あしたに道を聞かば夕べに死すとも可なり」と言ったといいますが、修養は修養自体に意味があるんです。
仏道も何かのツールじゃないから極端に言えば本来はそういうものです。

というわけで破門殺も終わる今年後半から、行への姿勢や人格の上からこの方は得度していただいてもいいかなという人は数人だけいます。
そういう判断は私一人の独断と偏見でします。それが師匠というものだと思うのでそれでおしきる。

思うにほとんどの人は在家修行でいいと思います。

もちろん「いきなりなりたいので・・・」というのは駄目。在家修行してもらわないとなりません。
前回の反省から行しないのは意味ないとは言わないけど勿体ない。
改めて思うけど得度っておかざりじゃないからね

今回は行をして実感つかめないといけないし、三千仏礼拝や准胝仏母の念誦10万遍はその前に必須です。
今年からそろそろ密教の指導も始めます。