金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

誹謗中傷の心理


さっき、フェイスブックで「ともだち」だけど色々な方の中傷誹謗がひどいのである人をもうブロックしたという話を聞きました。

そういう人って多いよね。

誹謗中傷は一種の自己アピールなんですね。
でもそういう人は必ず「自分置き去り」です。
自分の存念や主義主張ではない。
自信はないのでそれはいわない。
そんなの下手に言って批判されるの怖いのだけど・・・でも人に注目されたい。
利口な人と思われたい。
そうだそうだと共感されたい。
へえ・・・この人色々知ってるんだ!物知り~!と尊敬されたい。
だから一生懸命人さまのアラ探しに終始する。
他はなんにもできない。
知恵ある人はこういう人には近づかないと思う。

私もSNSでその手の事言うのが好きな奴は付き合わない。
取り合わないで追い払うことにしてます。
このうえそういうくだらない人になりたくないからね。ただでさえ徳が薄いのに(笑)

同じようにやってきて自分が今まで信じてきた宗教や教団の悪口いいまくる人も相手にしない。「ああ、こいつクズだなあ…」と思って笑って聞いてる。
それが例えばナンチャラ真理教みたいなとこだとしてもね。
「こいつ、そこにいたこと自体、自分の恥だと思わないのか?」と思う。
だって自分で行ったんだろ。そこ。
騙されたんじゃないよ。馬鹿なんだよ。アンタが。と思う。
そこに恥感じない奴は付き合わない。恥知らずだから。

よそを悪く言えばこちらが喜ぶと思うのはそういう頭脳構造だからでしょ。
誰がそんなクズ受け入れるもんかね。

私の法友がなんかの会で少し前、因縁のある奴と一緒になった。
そいつが自分のブログで何だかさっそく批判めいたこと言っていたらしいです。
朋友もバカじゃないのでそんなの興味ないから調べもしなかったらしいけど・・・
だってその人悪いことして脛に傷があるんだもの。
でも、そんなのいっちゃ可哀そうでしょう。
それとも反撃して言われたいのかなあ。
でもその脛に傷のあるみじめさを人を悪く言って慰めてるんだね。
バカな奴だと私も話を聞いてわらいました。

そうやって愚かな痴心を慰めているんですね。
そういう人ほど自分のことが言われると思うとすごく怖いんだね。
自分がみじめだからそうやって自分を慰めているんでしょうから。
それは自分が本心では一番よく知ってるんです。そういう方は。
自分が幼稚で間違ってるのもね。
だからそれをみたくないので批判する。そういう構造でしょう。
眼が自分にむけられない。お気の毒です。