法華経に「諸仏の御言は異なることなし」と言います。
昔のこと、さる比叡山の僧が生活がままならずに山王権現に祈願していました。
山王権現は比叡山一山はもちろん天台諸宗の守護神。
だが、一向に生活はよくならない。
ついに業を煮やしてほかの神様に鞍替えしようと考えました。
それで僧は山王権現は見限って、財宝の神と名高い稲荷大明神に信仰を寄せることにしたのでした。
さて、僧は稲荷社に詣で神前で一心に祈願して自坊に帰るとその夜不思議な夢を見ました。
神殿の扉が開き神々しい稲荷神が出現されたのです。
「その方良く参った。稲荷明神がそちの願いはきいて取らすぞよ。」と言うお声。
有難しと伏し拝むと、間を入れずに「あいや、お待ちあれ!」と言う声が響く。
そのほうを見れば山王権現と思しき神が「我は山王なるが、そのものに福を与えること。まかりなりせぬぞ。」
「なにゆえに?」
「そのものに今、福を与えればせっかくの厳しき修行のこころがなえてしまう。
このものは将来善智識になるべき大切な身でござる。」
「・・・なるほど、しかれば止めておきましょう。」
この夢で初めて僧は祈願が叶わぬ理由を知ったのでした。
僧はその後も相変らず貧しかったが、ついに精進してあっぱれ名僧と讃えられる人になったとか。
ここで叶わぬならここかしこと、あちこち巡っても諸神諸仏の御心は同じです。
真面目に拝んでいるのに叶わぬにはそれなりの理由がある。