金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

乳幼児虐待と不自由のない世界

昨日の本田選手の意見を聞いてさらに思うこと。

今の人間はうるさい環境になれていない。

都会のど真ん中でも、いや都会のど真ん中ほど防音のきいた音のしない環境に住んでいる人も多い。

昔は朝になれば小鳥は鳴く。夕べにはカラスが鳴く。

春はヒバリ、夏はセミ、キリギリス クツワムシ 秋はコオロギ。

それらは自然の風物詩だった。

誰もうるさいなどといわない。

となりの家から聞こえるカエルの声をうるさいと犯罪行為を行ったバカな爺がいる。

いい年のジジイにしてそれだ。

こういう人間があふれている。

 

子供を持てばどうなる。

気に入らねば四六時中泣くのが赤ちゃんだ。

汚れたおしめを取り換え、昔は当然手で洗った。

鳴きやまなくて当たり前、手を挙げる人間などいない。

少し大きくなれば何でも壊す。障子のさんなど歩き出した赤ちゃんのいる家では見るも無残だ。そういうものだった。

きれいな生活。快適な空間は一瞬にして消え去る。

それが当たり前。

今はそういう うるささ、わずらわしさが一切ない。

だから我慢できない。

 

それを考えれば不自由は大事なのだ。

修行というのはある意味、不自由体験にほかならない。

不自由だからと嫌だいうなら修行はしないことだ。誰もどうかしてくれと言わんし。

しなくていい。

かなり昔、三井寺の講習会で出席者に「何か感想を最後に」と聞いたら

「トイレが水洗じゃないので嫌です。替えてもらいたい。」といった人がいて叱られた。

当たり前だ。

当時の長吏様から「あなたね。中国では扉もろくにないトイレもたくさんあるんですよ。」と諭された。