「スピリチュアル系のセミナーなどではすぐに使えるものを教えてくれたりするのに密教のトレーニングは何故時間がかかるのか?」という質問。
それは密教の行法は薫習によるからです。
心識に種字や三昧耶形、真言が定着し機能するまでやらないといけない。
そうでないと「法」が身についたものとは言えないからです。
阿頼耶識の領域までしっかり入ってしまわないといけない。
なぜなら密教行法はそこからパワーを出すからです。
そこが空ならできることはない。
技と当人が分離していて技の力でできるのは「術」というべきです。
法は仏法の薫習なくしてはありえない。
菩薩は布施 持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六度薫習なくしては菩薩としての働きは不備ということになる。
唯一初めから持てるのは初発の菩提心のみ。
仏教ではいかなる修行といえども発菩提心から始まります。
よって菩提心から始まらないものはいかなる修行をしても仏道としません。
踏むべき手順を省き菩提心なきものに授法すれば越三昧耶となって極めて大きな罪業となります。
時々いいかげんなものが手順ふまず授法してくれというが、たとえ法外な布施をするといっても絶対に伝授はしない。
私は罪業を積むことを目的で仏道修行しているのではないからです。
そこは金額などとは比較にならない。
お急ぎならよそへどうぞ。