金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

ふるい


仏道修行は難しいもの。
どんなに熱心でも進めぬ者もいます。
果たしてどういう人がすすめないのか?

進めぬ人はみな概ね謙虚さが欠落しています。
知りもしないことを知ったようにしゃべる。一人合点で決め込んでものをいう。
下手するとどっちが指導者だかわかりません。
これは修行するものとして致命的です。
そういうことは後になって気づいても遅いのです。
今日もそういう人たち二人としゃべりましたが、修行は話をして金輪際やめていただきました。話している最中も勝手なことを言いす人もあり、やはりやめてもらって本当によかったと思いました。
もう無意識にそういうことを自分がしゃべっているのがわからないんだね。

特に密教の世界にはこの過ちは後には大きな災いになります。
もっとも、望ましくないのはそういう傲慢さのまま一通りの修行を終えてしまうことです。
これは悪くすると悪魔を作ってしまうことになりかねない。
だから法の指導者たるものはその前に断固「ふるい」にかけないといけない。
ふさわしくないものが決して前に進めぬように阻止しないといけない。
ふさわしくないものが力を得れば必ず自他ともに大きく傷つけます。
ですから一度ふるいにかけた人間は二度と再び拾いません。
この際、下手な人の情などに流されることは一番の敵なのです。
へたくそででたらめな医学生にメス握らせて他人様を手術させるようなことになります。
だから今後、断られても性懲りもなく何とかなんとかまた修行のチャンスを考えさせてというものもいるかも知れませんが絶対許可しません。

さらに必要ならこの先いくらでも「ふるい」にかけます。
結果的に誰一人候補者がいなくなってもいいかげんに伝授などするよりははるかにいい決断だと私は思っています。

なお、余談ながら天部の行法について望まれることも多いのですが、長らく見てこれはという器の方や直門中の器の者以外には個人レベルで天部の伝授ももうしないことにしております。
これは今決めたのでなく去年からそう決めています。

聖天尊にお誓いしましたことですのでこれは変更しません。
ひそかに伝授をうけようと考えていた方はあきらめていただきます。

偉そうに聞こえますがさに非ず、これもひとえに私が人を見る心眼がないからでご勘弁くださいませ。

今までも見せかけだけのくだらない人物に大事な法を授けて失敗したことがありました。
三昧耶戒に不慳嗇法というのもあるし、自分が修行時代にどんなにこれらの法を授かりたいと思ったか思い起こすとついつい授けてあげようと思ってしまう。でもこれも間違いでした。
不徳の至りです。誰の罪でもなく全く我が罪です。
伝法した人間の犯す大きな過ちは阿闍梨の越三昧耶でもあります。
それを思えば罪深いことです。
世間にも迷惑だし、そういう思いはもう沢山ですので。
これ以上変なものが門下から横行しないよう、ふるいは手ばなせません。