密教の伝授は読めない。
この自粛期間に修行をしてもらいたいとか思ったのだけど・・・なんのなんの
ここにきて一番修行やりそうな人や希望する人がなかなか来られない(まあ、時期も時期だけど)とか、準備ができてないとか色々ある。
やはりそういうところで人の因縁の特徴が出るようですね。
そうかと思えば意外な人がスルスル前に進んでいく。
伝授の表白に「人を選び、器を選び、これを許し、これを授ける云々・・・」というけど、私の思いはともかく神仏の目はまた全く違うみたいだな…と思う。
ここまでくると私の眼なんかなんの当てにもならぬ。
そうつくづく思う。かえって何の心もさしはさむべきでないのだと思う。
ほかにもそう思うことは多々あるのでそういう自分の姑息な憶測や希望などを極力離れるように考えている。おそらく仏の目にはそれは愚かしいものにしか映らないだろう。
授けたくても無理。授かりたくても無理ということはある。それは仏の意志だとうけとめるほかないです。
まあ、機が熟さないとやれないのもこの道かなと・・・。