むかしから密教の法を伝授されて遂行しないと大きな障碍になると言い伝えられている。
例えばよくいわれることだが、加行を途中で放棄すればその人の一生は挫折の形になって終わるという。
思うに因縁が処理されないまま放置される。手術が途中で開腹したままた中断になるみたいなものだ。
求聞持法などの秘法にうおいても伝授をうけておいて修行しないなら障碍になる。時に夭折すらするという。
これは越三昧耶に相当する。法を冒涜する罪だ。
法は行わなば意味がない。
そんなこと実際にあるのかな・・・?と若いころは思っていた。
つらつら今日まで見てきてそれはまさしく本当のことだと思う。
加行はもちろんだが准胝独部法のようなものもまったく同じだ。
授かったなら10万遍はなんとてもして満行してしまわないといけない。
だから授かってもしないなら絶対に受けないことだ‼
命取りだ。
時には悲惨な事にもなりかねないと思う。
これが災いになったら密教的にはもう助ける手立てがない。
越三昧耶を犯せば一切の法の効験は受け付けなくなる。
加えて伝授する側はもっともっと慎重であらねばと反省に思う。
今まで外部の在家の方には独部法は授けていないが改めてそれで正解だと思う。
昔の老師はどんな法であれなかなか授けてくれないものだった。
だが、それが親切というものだ。
今までよりもずっとずっと人の器量を見きわめなければいけない。
道心のない人に授ければその人を傷つけてしまう。法も傷つけてしまう。
良いことは一つもない。