箸にも棒にも掛からぬ聖天様でなけりゃ無理という人の為大日如来が現した最後の頼みの綱。
考えてみれば、私のような愚物も聖天様だったからこそ、なんとか仏道修行の真似事ができました。
ご指導をいただいたわが師も私にとっては聖天様と一つです。
もったいないことです。かたじけない限りです。
聖天様の信仰出来た方はここが最後の滑り止めなんだという覚悟がどこかにないといけない。
聖天様だから拾っていただけたんだという思い。
それを胸の奥ににおいて行いや生き方を慎しむ。
それが聖天信仰の究極の姿です。
私はそう思っています。
ひとりよがりの甘えに終始し、ご利益の美酒に酔うて恐れを知らぬなら終いに奈落に堕ちます。
真っ逆さまに落ちる。
堕ちたらそれまで。
ここから後はもうないのです。精進肝要です。