座禅、礼拝行、密教修行など仏教でいう様々な修行をすれば人間の性根はよくなるのか?
答えはNOです。
いわゆる行法というものをしても人間はよくはならない。
そのレベルは性根の良いものでなければよい修行にはならない。
では修行は功徳にならないのか?
そうではない。
皆さんが修行と呼んでいるのは主に六波羅蜜でいう「禅波羅蜜」に相当する部分です。
実はその前にすべき修行がある。それは行法ではない。
惜しむことなく善きものを他に施す「壇波羅蜜」
飽きる、怒る、愚痴を言う 自由にやりたいようにやる などの行為をしない「忍辱波羅蜜」
倦まず 弛まず 長い期間の修行を厭わない「精進波羅蜜」の三つが整ってこそ進める領域です。
人の性根はこの前三波羅蜜の修行で調え、陶冶する。
ここができていないまま様々な仏道修行などすると仏道修行どころか魔の邪道にすらなる可能性もある。
行法をして性根を治すのではなく、性根を治すことこそがその前行だ。