祈願とはどういうものか?
たとえば念誦にしても浴油にしても、その間ず――ッと間断なく祈願の趣旨を意識していくことではない。
祈願の趣旨は一回言えば済む。
繰り返ししつこく言わねば叶わないと思うのが人情だがそれは違う。
逆効果だ。
後は供養のための祈りが続くだけ。
要件があるからと人を食事に接待しておいて、馳走もおちおちのどを通らぬほどしつこく繰り返し言えばきいてもらえるのか?
あるいはそうせねばならないのか。それは違う。むしろそんな接待は失敗だろう。
用件が重大であればあるほどに客を喜ばすことに専念するのが接待というものだ。
大事な用は伝えたらあとは接待に徹するのが正しい接待というものだ。
密教祈願の基本である十八道立の行法は古代インドの接客方法を宗教儀礼化したものといわれている。
だったら余計そうだろう。
皆さんが家庭で祈りを凝らす場合も同じだ。
しつこく100回、1000回と願いを繰り返すのがあるべき祈りではない。
それなら経文や真言など言わないで「商売繁盛」とか「試験合格」とか祈願の趣旨をしつこくしつこく繰り返す言うほうがマシだろう。
だが、それはただの気休めというものだ。
それでは本尊には何も届かない。