複数の神仏を信仰する。それはよくある。
観音様も拝みたい。お不動様も拝みたい。弁天様にも足を運びたい。悪い事ではない。
だがここ一番という時に誰を頼る?
それが本当の本尊だ。
そこでぶれてしまって目新しそうな神仏に期待するのは徒労だ。
祈りもエネルギーだ。
分散すればするほど弱くなる。
じっくりと本尊を拝む。
それでだめなのは何様拝んでもダメなのだ。
いよいよシリに火がついてから日頃の信仰はどへやら、あっちの神様もこっちの仏様もと拝んで回った結果、祈願が叶った例を私は知らない。