生駒の湛海律師は不動行者になりたい方でした。だからしつこい聖天さんが初め嫌でしょうがなかった。それでももう聖天さんは拝まないと決めたら「汝われを捨てるとも我は汝を捨てぬ。」といわれたそうです。
それでいったん聖天様と縁を切られたのですが、やはりのちに生駒の湛海といわれる大聖天行者になった。
今日は亀戸の病院で定期検診にきていたのですが、真言宗のМさんからメールがきてこれから浅草で妙見さんのお仏像を見に行くという。
どうでしょうか?というのでメール画像がきました。
妙見法は今朝拝んだばかりです。不思議な縁と思い、それで私も見に行くことにして待乳山様でお参り方々待ち合わせ。
実物見て「小ぶりでもこのお値段ではなかなかいいのでは・・」というので購入されました。
これは鎮宅霊符神という姿ですね。
Мさんは元は天台宗系の妙見さまがご本尊のお寺にいた方です。
「なんとなく妙見さまがまた拝みたくなって・・・」というМさん。
やはり仏縁は甦る!と思いました。
私も昔、元三大師さまのおみえを祀っていました。
川越の喜多院さまで頂いてきた屏風型のオミエでしたが、いつの間にかお焚き上げしてもう拝むことはないなあ…と思っていたら、数十年を得てまた拝むご縁を結ぶことに。
神仏の縁は切っても切れないもの。またいつか芽を吹くのです。
この間亡くなった講員さん。初めて来たときに「こちらは十一面様ですか?私は前にいた感心しない新興宗教でも本尊が十一面さまだったのでいやなんです。そこは嫌だからわざわざ嫌でやめてきたのにまた十一面さまですか。」
といわれた。
私は「最初は逆縁でも、あなたはきっと十一面様ご自身にご縁があったのですよ。拝む人や教団はどうあれ観音様ご自身に罪はない。観音さまは観音さまでしょう。だから安心なさい。」といって、その方は最後には得度までされて先月往生されました。
「仏縁は死なず」と思います。