ある講員さんが亡くなりました。この方は昨日のブログでもうしました新宗教から来たという方です。
この方は昭和元年生まれ・実は大きい旅館の娘さんでした。
お嫁に行った先も保険会社の幹部のおうちですが、なんとそこのうちには義理の妹さんがいて檀那とは出来ていた。
それで面白くないので嫁ぎ先を出た。
お金ももらわず出てしまったそうです。
そこからが彼女の放浪の一生の始まりでした。
昔は女は三界に家無し。
実家に帰りもしないで転々として一人で生きていった。
心の支えに密教系の新宗教にも入ったけど、矛盾を感じてやめてしまったそうです。
拙寺に来られたはそのあと。
最晩年にはもう働こうにもなかなかやとってくれない。月額7万円弱できゅうきゅうとしてホテルで皿洗いとかしていましたのが、ホテル側がそれでも嫌味を言ってやめさせようとするで、私は生活保護を勧めました。
彼女はそれはなにか恥ずかしい事のように思っていたようで最初はとても嫌がって凄く抵抗がありました。
それで決して恥ずかしいことではないとよくよく説得して受けることにしました。
でも、それで月々は格段に楽になった。
彼女はおかねのないなかにも最期まで払えるお金は全部払ってきたので「もういいから」といって免除にしました。
皆様の税金からいただいているお金を私が頂戴するわけにもいきませんから。
可哀そうだったのは最後まで犬や猫が好きだったので飼いたがっていたこと。
うちに来られると楽しそうに犬や猫と遊んでおられました。
それも歩けなくなって無理になった。
遺品に昔飼っていた犬のお骨があったそうです。
それからお不動様の小像がありました。大家さんが届けてくれたので供養と思い、うちで祀ることにしました。
この方の例は決して特殊ではない。子供がいない。結婚もしていない人は最後は大体同じようになるんでしょうね。あとはお金があるかないかだけど・・・
この方は幸い保護を受けられました。
お米を届けたり、高麗人参茶を届けてあげましたが、お米をもってお見舞いしたのがお顔を見る最後になりました。
得度をされていたので三井寺に参拝に行く弟子に供養を頼み、大森先生にもお施餓鬼をお願いしました。
でも思うのは孤独になって何もできなくなっても信仰は矢張り強い「よすが」なのだということ。遺品にはうちのお札を厨子に入れてを最後まで拝んでいたようです。
あなたが亡くなったら無料でお葬式してあげますと言っておいたがそれも知らずに亡くなってしまったのでできないでおわりました。
でも、この方は得度もし、結縁灌頂も受けました。49日過ぎたらきっと良い果報を得られましょう。
南無三宝。南無阿弥陀仏。