もう何年も前のこと、得度の書類まで出してから急遽やめた女性がいた。
この人、聖天様に思い入れがあり聖天供をやりたいとまで言っていた。山修行にも行った。
もともと修験の在家修行のようなこともされていた。
意気込みは大いにあった。
それが突如書類出てからやめたいという。
その時は正直驚いたし、書類は通ってしまい本山にもどういうことか訳を聞かれて大変困った。
こうしたことからほかにも前例とも考えあわせ、女性の得度志望はあてにならぬと痛感した。
言葉通り信じてはならないという自戒になった。
余談だが基本、拙寺では女性の得度志望者はまずまずあきらめるようにと言っている。
もし拙寺で指導を受け行者になりたいと思って私のブログを見ている女性の方がいらしたら申し訳ないがそれは金翅鳥院ではありえないことと思ってほしい。
たとえ得度しても講習会や山には入ってもらうが、原則的に護身法や准胝独部法を除くと教授内容は顕教のみに限定している。行者には養成できない。
ひとつに加行中随行して女性行者を見る行監がいないことが決定的だ。
もっとも講員なら得度しなくても護身法や准胝独部法は在家でも特定の行を来なった方には伝授している。
勿論その段階では男女はまったく関係ない。
この方は本々行者になりたくててうちにきたのだろうからもう用はないだろう。
「講員ももうやめますか?」と聞いたが、講には残りたいという。
その後ご家族のご祈祷などはずっと頼まれている。
昨日、その彼女から看護師を目指して看護学校に入られたというおはなしを頂いた。
それはこの方のために大いに喜びたい。素晴らしいことだ!
得度しても実際に人を助けるべく祈祷できるようになるのは大変な労力と時間がかかるのだ。向き不向きもある。それに修行に伴うお金もかかる。東京ならなにかと滋賀県の本山まで行かないといけない。交通費だけでも大変だ。
お金がかかるから近場の金翅鳥院で修行したいなどというのは見当違いもいいところである。そういう理由で本山に行く気もないものの指導など一切できない。
仙台や名古屋、八ヶ岳の山中から通っている行者もいるのだ
そもそも私自身も人を助けるべき祈祷しているつもりだが、本当に助けになっているのかと言えば正直それは分らないという気持ちだ。そこは仏や人が決めることだろう。
もっと実際的に手ごたえが欲しければ宗教などでなく医療や介護のようなものが受け取るものは大きいだろうと思う。
この方は得度の縁はなかったが本人はこれも「聖天さまの導き」と考えているそうだ。
私もそうではないかと思う。
だとすると得度を止めたのは実は聖天様だったのかもしれない。
誰しも信仰の延長に得度があるわけではない。