私は神祇を大事にしていますがそれには以前いただいた霊狐さんからの言葉が心にあります。
当時愚かな私は霊狐さんの言葉ではなく自分の霊感か?と思ったが私の霊感などではなかったんですね。(笑)
その言葉は
「日本の霊界は日本の神々なくしては動かない」ということです。
例えばそれは聖天尊に祈願しても、必ず日本の神々が裏には手助けしてくれる。
これがないと祈願はスムーズにいきにくい。
もしかって神仏習合していた尊格を拝むなら必ず隣接するお宮も拝んだらいい。
まあ、もっともとなりに神社があれば明治時代に飲み込まれて寺はないことが多いけど。
ダイレクトに神社を拝むなら、今度は先祖霊を供養するのが効率のいいい祈願だと思います。
仏壇をよく拝んでいればいいが、特別な祈願があれば墓所に御参りしたり施餓鬼もいいでしょう。
逆に言えば神祇や先祖から受け入れられない祈願は叶い難いもの。
聖天尊でそう言うのもかなってしまうのは毘那夜伽信仰に堕している場合である。
これはヤクザに物頼むように後で必ず落とし前が来る。
かくいうのは日本という場所より日本人として信仰してきた我々日本人の霊的な構造によっている。
例えばアイヌの人が同じことをすれば、想像だがやはりアイヌの神々が動いてくれると思う。
いいかえれば民族により霊的構造は少しづつ違うのでしょう。
以前、どこだかの神社で香港の人が「民主化祈願」の絵馬かけたら「中国人のくせに日本の神社で祈願するな!」という恥ずかしいことをいう奴がいたそうだが(全くもって恥ずかしい!瞋りすら覚える。)
ただし、その祈願がかなえられるにはかなり複雑な構造を経ないといけないのは確かであると思いますね。
神は中国人の祈願は受けないのか?それはないだろう。何せ日本の神々の多くが渡来系だなのだから。
羽田も元をたどれば秦氏ですから中国系で祖神は稲荷明神です。
お稲荷様はむこうから来た。
島である日本に渡らないで人も神もあり得ない。わたってきた人々がそこで信仰しだしたのか、よそから持ってきたのかの差でしかないが、それでも歴史を経ればそこに独特のフィールドが形成されてくる。
特別に神祇信仰しないとダメとかは思わないが、しようがしまいが何様を拝んでも縁のある日本の神様たちに裏でお世話になるのはたしかなようです。
神祇は大事にした方がいいというのはそういう理由です。