聖天信仰するなら、先祖供養と神祇信仰は欠かせない。
というよりそれは日本の霊的常識だ。
最近はそういう常識はなくなってきている。
日本の霊的地盤は揺らいでいる。
なにも特殊なことはいらない。昔は皆していたことだ。
回忌をちゃんとやり、彼岸やお盆に墓に参り、新年には神様にお参りする。
それだけでいい。
先祖や神々への崇敬の徳は我々を聖天様により深く結んでくれる。
最近、親の法要に出ないと言う子供もいる。なんと「私は宗教二世じゃない」というようなことを言い放ったとか。
本当に世も末だ。
霊的バックアップがゼロ。
そんな人間がにわかに欲願から聖天信仰はおろか何をしようが成功などしないと思う。
先祖供養、神参りは聖天信仰以前だ。
最近は家族が亡くなって葬式をしないとか、お墓に全く考えが違う宗派の二つの家の名前を刻むとか・・・
本来、今まではあり得ない話を聞いて正直驚く。
でもそれも普通になるのかも・・・
とにかく「家」の概念を徹底的に破壊しようという方向にいっている。
こういう状況でおいたまま祈願など無駄だ。