愚母のことで恐縮ですが。今年誕生日が来れば93歳。
画家であることもあり弁才天をことのほか深く崇敬しています。
僧階を持つ行者でもある。60歳になってからはじめて得度して修行を始めた。
戒師は今の福家英明長吏猊下です。
これは自ら描いて礼拝している弁天画像
昔は飯縄山にいて院代をつとめ、もちろん勤行を毎日欠かさず修した。密供も修した。護摩も焚いた。
母が老齢で鎌倉に帰った後、今は園城寺にいる弟子が門下生の一洛叉修行のため、飯縄山の奥の院に一夏居て「ああ、院代先生はよほど弁天様拝んだのですね。壇に上がると飯縄様より弁天様を感じる・・・」といっていました。
それだけ拝んでいたので、病を得てからは登壇は叶わぬ身ではありますが「何もしないというのが気が引けて」・・・というので「弁天一印法」を授与しました。爾来ずっと病床で身を起こしては修している。
短いけど非常にありがたい法です。
台密にも伝承はあるが、弘法大師御作ともいわれていてもともとは東密の法であるから大森先生に伝授していただきました。
それを私が次第書に書写して母に授けた。
母は調子が悪くない限りは毎日床にあってこれを修してそのあと諸仏神の真言を念じている。
まあ、床に就いて修するのは本来的言えばご無礼なことだが、病人故に横着ではないので弁天様に勘弁して頂いていると思っています。
行者は矢張り何かしらして拝んでおかないと気が済まないモノです。
その意味ではまがりなりにも母も一応は行者のはしくれです。
弁天修義までしたり、弁天供1000座を修したくらい、弁才天を崇敬しているので何もしないのは辛いのでしょう。
大変手前味噌で恐縮ですが・・・それが行者というものだなと思いますね。