玉龍弁才天は亡き母が夢の中で花弁のようなものから三つ首の蛇が出ている。「そういう神様あるか?「というので「きいたこともない。」といって私も当初取り合わなかったのです。
そうしたらKさん、この人も弁天信仰で霊覚がある行者さんですが、絵に描いて見せたら「これは弁天様ですよ。そう感じる!」と言うので思い当たったのが天河曼荼羅の弁天象。
たしかに首のところが羯磨衣の襞が花弁みたいに見え、三つの龍蛇の首が伸びている。
それで天河曼荼羅見せたら「これだ!これだ!」ということで天河にお参りに行くことが始まった。
社務所ではやはり「弁天様の部分をみて、お見えになる人は多い」とのこと。
天河弁才天は実は各地に少数ながら残っていてもともとは十臂弁才天と言われて儀軌もある。
それから母は発心して弁天供を1000座修行し、一応弁才天修義まで修行しました。
当時60歳をとうに超えていました。
そこまでやったのだけど・・・浴酒はやろうとするとよくない感じでやめた。
やろうとすると体調崩す。
やはり灌頂壇には入壇していないのでここまでが限界だろうということで遠慮して終わった。浴酒は私がすればいいということで落ち着いた。
母は当道秘法までは受けたが、本山で加行していないので両部灌頂壇には入れなかったのです。
思うに灌頂と言うのはそのように大変有り難いものだと思います。
だから人並み超えて修行したから灌頂壇に入らなくていいやと言うものでもない。
それは違うと思う。
母の発願で後に極彩色の十臂弁才天を儀軌によって作成したが、
当初厨子の扉をあけておいて拝んでいたが、それも御不興のようであるので秘仏にしました。あらわにすべきでない。
それで以後は飯縄山で加行満行の時にしか拝ませないことになった。
ちなみに仏師の方はこの尊像をつくって直後に亡くなった。
自分で言うのも変だがとても精緻に出来ている。
弁才天の仏師は大変な巧者だったのに惜しいこと、残念なことであったと思います。
外にも飯縄山の中尊、飯縄大明神や天狐像を作成してくれた方です。
亡き 母の引継ぎの意味でもこれから弁才天はかなりグレードアップで拝んでいこうと思います。合掌。