時々、生き死にに関わるような難しい御祈願や会社の存亡にかかわる御祈願を頼まれ、何か通り一遍に普通ではなく特別なことをしてもらいたいという人もいます。
何かないか?どうにかできないか?という相談ですがいつも言うように講員以外のご祈祷はそこまで終わりです。
普通祈祷が5000円上限が10,000円の御祈願 それ以上はありません。
でもそういう方は不思議なのは「講員になりたいからぜひとも本格的に祈ってほしい」ことだけは決して言わないのです。
それ自体はそれで別にまったくかまわない。
面倒なのでそんなことはこちらも勧めないし、100も承知だろうから一切その方がそうしない理由も聞きません。
講員になりたくないからなりたくない。
それはそれで充分なのです。理由など聞きたくない。
イヤらしい新宗教みたいにべたべた説得なんてまっぴらごめんで虫唾が走る。
ですから難しい御祈願だがその祈祷しかないのかと問う方には、はじめから弟子の寺やよそのお寺を推奨します。
勿論、難しい祈願だがおたくでお願いしたいといえばさせていただいております。
この間も聖天信仰したいがどこがいいかという相談。
さる有名な霊場を勧めておきました
また別な方、何とか運気を鑑定して欲しいというので占ったら破門殺がきて大きな災いに合う可能性が高いことが分かった。
破門殺除けを是非私にしてほしいと言われたが弟子でやっていますからそちらでお願いしますと断った。
私は決してそれらの人のことを考えないわけではない。
考えるからこそ、その人の考えに合ったスタイルを推薦します。
何か宗教に入ることを世間に恥じることのように思っているのか、それとも私という人間になにかしら不信感があるのか・・・それはわかりません。
本人に言わせれば自由でいたいんでしょう。
自由でいたいのは大いに結構ですがその分、私に責任はない。
別に数の上で講員がただ増えればいいなどという気はさらさらないのです。
だから「お付き合いと思ってさせてもらいます」はNOサンキューです。
もっと言うならメイワクです。
「私はお付き合いで入っているだけですから・・・」という人いはいて欲しくない。
他の人の信仰の邪魔だ。
ただ、同時にギリギリ本尊と距離取ってもなんとか願いをかなえたいという姿勢は私には理解できない。
ハッキリ言って矛盾であり滑稽ですらある。
そこまでならなぜ私に頼むのだろう。
意味不明だ。
今している非講員様対象の一般祈祷も弟子が育てばバトンタッチしていこうと思っている。私は講員様と星祭や毘沙門天などなどの月の行事祈祷だけしていくスタイルにしたい。
そうでないと数ばかり増え。私は年を取りだんだんと丁寧な御祈願ができないようになる。
それは私の望むところではないですから。