親類縁者が重い病気なのでというので祈願を頼まれたが、聞いてみると先方は誰もお札を拝む人はいないという。
そもそも先方に祈願してほしいという声も何にもない。
心配で自分が頼みたいだけだという。
そんな状況でお札を送ってもどうにもならないので「やめておきなさい」といった。
死ぬような病を本気で拝むなら毎月祈祷がいいし、かといって頼みもしないものを毎月送られても先方は定めし迷惑だろう。
「もう十分ですから・・・」と言ってくるに決まっている。
あるいははっきり迷惑だと言われる可能性だってある。
さりとて自分の気やすめ的に一回ばかりお守りや人型を送るならただの自己満足にすぎない。それは信仰の押し売りだ。
私自身、「こんなのでは効かない」と思う祈祷をするのは不本意だ。
ハッキリ言って嫌だ。
祈願は神仏に向かい合うことだ。お布施をもらえるからいうとおりにするというものではない。
勿論、御親類を思う気持ちは尊い慈悲であることはまったく間違いないが、ものごとは自分の慈悲ひとつで止めておくことが肝要なこともある。
私は親族、友人でもそれはたのまれない限りは一切祈願などしないことにしている。
自分で仏様に手を合わせば十分です。