ご祈祷でお金取るのはちょっと…という観念の人はご祈祷効かない。
効くわけがない。
詰まらないもんだからお金頂くのは申し訳ないみたいに思っている心には何も感応しない。
信念がない人はそう思う。
だって自信ないし…という方。
「自信を持て」などと言っていない。
「信念」といっている。
私だって今でも「自信」などまったくない。
祈祷に措ける自信は増上慢につながる。
行者は信ずべきは自分ではなく、あくまで本尊だ。
さらに言うなら本尊の誓願だ。
「お休みに無料で祈願したいんです」という人いたけど、そんなのはただの自己満足のお遊びだ。
人の悩みはあんたの休日に合わせてはくれない。
夜中に急病で電話かけられるくらいでないと人が頼るような祈りになってない。
そんなたるい気持ちで祈願にならない。命を助けてという祈願もあるのだ。
そういう日曜大工ならぬ、お気楽な日曜行者の指導はお断りしている。
趣味の教室ではない。
そういう人は祈願を冒涜しているとさえ感じる。
信念がないならたとえ、タダでもするのはいけないと思う。
そんないい加減なところへ行かないでしっかり拝む余所に行く方が正しい選択だからだ。そんな自己満足の祈願所は有害無益だ。
スーパーで大根や卵を買うのではないのだ。
医者に行くのに少しでも安いところ探して行くという人があろうか?
お金が全くないなら本人が自分で拝めばいい。その方が必死になれます。
依存なしなので。
しかも神仏自身はお金は必要ない。一銭もお供えしなくても何のお咎めもない。
自分で祈ればいい。
だからお金は額に関わらず頂かないといけない。そう思っています。
ただで祈願はしないの?
しません。
ただでは助かるものも助からない。
猫探しだけは無料でしています。
勿論、ただでしたこともあったが、それはあくまで私の判断でする。
「お金ないので無料になりませんか?」といわれて、そのままタダにはしたことはただの一度もない。
高いという人は祈願料5000円でも高いという。
お守りも「3000円なんて高すぎでしょう」という人もいるが、どうして?
お札だろうが御守りだろうが祈りは同じですよ。
「安いのが第一ならよりお安いところへどうぞ」という以外ない。
コーヒーだって会社で置いてるサーヴィスのもあれば一杯1000円のコーヒーもある。
「なんでここはサーヴィスじゃないのか?」と喫茶店で文句う人はいない。