それははじめて祈祷を申し込まれたら、
よほどのことでないかぎり即「やりましょう!」という人です。
経験から言って祈祷を志すと言いながらも「エ~どうもやったことないことなので‥‥」「まだ、ちょっと自信が・・・」という人は何回頼まれても同じようになんだかんだで断るのが関の山だ。
やったことないからこそ、やらなきゃ永遠にやったことないで終わりだわ。
自信ですか!?バカもややすみやすみ言え。
そんなものあるわけない!私だって何もない‼
自分でなく本尊がやることだ。自分に自信なんかあるわけなかろう。
こういう念を抱く人は「祈願の器の人」ではない。まずその後も無理だろうと言える。
まず頼んできた祈願を「やってみろ」とふってみて「いや」と見て断ったら二度はふらない。
それは「ああ、この人は祈願はできない人なのだ」とみなす。
経験的にそういう人にやれ、これが口伝だ秘術だと教えても所詮、箪笥の肥やしにしかならないのだ。
この仕事はなんとかやらなきゃいけないものでもない。
だれもがやるものでもない。
できないと思う人が無理矢理してもできるものでもない。
できる人だけがすればいいというそれだけのものだ。
勿論、なにも基礎の修行もしたこともなく「私ができます!やらせてください。」などという頭のおかしい人は論外だが。
昔、23歳くらいのころある有名な法華の行者(女性)と電話で話しをした。
霊能者でお弟子さんもなかなか多い。
それで修練積んだ弟子にころあいをきてこの方はいうのだそうである。
「私があとは全部責任は取るから、まずアンタの霊感でそのまま思うように相手に言ってみろ!」と。
スゴイね!
でも、そう言っても物おじしてなにも言わないお弟子さんが多いという。
「まだまだ、できません」というだけという話だった。
だから目下弟子は多いが「誰ひとりものになるものはいない」といわれた。
「わたしも行者志望なのですが・・・どうでしょう。」と恐る恐る言ったら
「ふん、アンタは10ある能力の9まであると思う。だがこの世界は10なきゃダメなのだ。9じゃ無駄なことだ。9でも8でもダメなのは0と同じことだ。できません。やめなさい!」とキッパリ言われた。
鑑定を頼みたいので予約と言ったらお金も払わないのに電話口でそのように霊視くださった。愚かな若者がこの道を志望しているとあわれに思ったので助言してくださったのだろう。お金はどこへおくれば?と聞いたら「いらぬ!」といわれた。
迫力の女性行者さんだった。
実際そうなのだろうと思う。
私の今は足らない部分は師匠や先輩。支えてくれた方々が補ってれたこそ結果だ。それでいまがあるかもしれないとは思う。
侍として名を上げるのは「初陣」が待ち遠しいようでないならばものにならない。
おなじことだ。