金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

祈願と体調

祈願は体調によって大きく異なります。

殊に朝と晩ではまるきり違う。

やはり朝に限ります。

通り一遍の供養法をするならできますが祈願はわずか毎座の念誦100辺くらいの間に一人一人の祈願を注ぎ込むのですから、集中力がいる。

でも朝と晩ではそこにそそぐ集中力が違う。

表向き、夜遅くまで疲れも感じないで元気でも壇に上ると全然ダメでと途端に眠気がドッと来るということは普通だ。

祈願はやはりある種のトランスに入るので眠気にひかれてふつうの精神モードが保ちにくいのかも。

疲れたまま座禅したら寝てしまうのと同じことだ。

また病気でなくても体調不良だと浴油などは杓がぶれて尊天によく当たるので、四六時中、金剛輪印真言を唱えて謝り通しになる。

自分で意識していない体調の変化もそれで分かります。

 

行者はベストコンデションでのぞまないと祈願にならないと私は思う。

修行ならおおいによいが、断食などの苦行をしてはハラに力が入らないまま多くの方の祈願をするのは難しいし、何もそういうことをする意味はない。

水行も冷水に刺激されて興奮気味の状況なら祈願できるが、長時間冷水に浸かりガタガタと震えるような状態では祈願は無理です。

いづれにしても苦行で精神がハイになるのは短期間ですから地道な祈願には向かない。

せいぜい自分の一願だけなら良いだろう。

特に密教においては祈願に苦行は用いずという。

その故は本尊と入我我入したままの苦行では本尊が苦しむからと言う。

 

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ある新宗教まで起こした滝行者がいた。この方は病人の着物などを滝に持ち込み祈願しておられた。祈願も修行も滝一筋の方だったようだ。

それだけにかなりの神通力もあったようだ。

「うちの正行は滝修行だ。滝に入らなければ大峰山に登っても四度加行しても本当の祈祷はできぬ。」と言われた。

当時もう50代か60代で若くはないお年だったが常にそうされていた。

しかし、そういうご祈祷の仕方が体に祟ったのだろうか。お会いした時は真夏でも体温が落ちてか、毛布をかぶっておられたが…お会いした翌月に身まかられた。

「私の弟子になりなさい。」と言ってくれたがなっていたら同じ運命だったかもしれない。

勝れた行者さんだけにその死は残念至極だった。

だがこの話で私は一つの結論を見た気がしました。