行者とし生きていくには見えない守護者の存在が必須だと思う。
指導霊と言ってもいい。
それは本尊とは別な存在。
仏菩薩や不動明王そのものではない。
実類の心霊だ。
多くは本尊と自分をつなぐ眷属。まあ、見えない世界のコンビだ。
でも前世は行者だった人が修行の続きをやりたくてついてくる場合もある。
その場合は守護者は同じ人間だ。
稲荷の狐や龍のような動物系の眷属も一度は人間に転生して修行している者が多い。
こうした存在ができるとその祈願にもなんらかの傾向ができてくる。
医療系、財に強いもの、縁を結ぶもの、土地に強いものと様々だ。
守護者が付けば世間的に宝くじがあっってハッピーとかは関係ない。
逆に必要とあれば行者をかなり痛い目にも合わす。おいしいことは基本的にない。
だから「ひとつ宗教でもやっても儲けたい」などと言うのには邪霊や低級霊しか来ない。そう言う気持ちを以て、正しい守護者のいる人に近づけば激しく排除されることだろう。
若しも同調して行者が貪欲にかられれば守護者は離れる。
それでは徳を積む修行にならないからだ。
離れれば行者は大きく祈願力を失うことになる。
でも、換骨奪胎でその状況にふさわしい波長のものが代わりに入ることも少なくない。
勿論望ましいものは来ないが祈願はそれなりにできるだろう。
どこだかで祈祷で評判がいい行者さんが、実は檀信徒の家へ行っては盗みを繰り返していたのがばれて逮捕されたという話があったが、それなどは典型的だと思う。
守護者についてもらうには修行を熱心にすることは勿論だが基本的に「正直」でないと無理です