金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

一切皆苦の教え

人間は些細な嫌なことでも参ってしまうことがある。

いや、だいたいそうである。

例えば虫歯が痛いというだけでも寒気がしたり1日中憂鬱で不愉快だったりするようなものだ。

他のところはどうにもないのだから感謝すべきだなどと言われても耳に入るまい。

 

体のことだけでなく同じ。些細なことで気は滅入る。

それが重なったりすればいっそもう死んじゃったほうがいいやというような愚痴さえも言う。

それが人間という生き物だ。大体、かくいう私も含めて似たり寄ったりだ。

 

満身創痍で八方敵だらけでもなんとか生きていこうとする野生動物ほどの気概はない。

 

でもそんな風に弱くなってしまうのはそもそもそんな出来事のせいじゃない。

日頃から針の筵の様にイライラすることが多いからだ。

イライラの前提に蝕まれて生きている。それが多くの人間だ。

何とかしたくてもどうにもならないこと‥‥多いです。

 

それを苦の娑婆だと観念する。そうすると少しでも野生動物と同じように逞しく強くなれる。

 

苦は当たり前。

どうにもならないことまで心配しない。

どうにもならないことはどうにもならないと割り切る。

そういうものはなるようにしかならない。

 

釈尊は言われた「一切皆苦」と。

 

仏教にうすっぺらいポジティブシンキングなんかない。

真逆だ。

「一切皆苦だ。苦の娑婆だもの」と割り切って考えれば逆に愚痴はそうそうは出てこない。

苦が当たり前なのに愚痴を言っても始まらない。

仏教にポジティブシンキングがあるとするならそういうことだ。