仏教では生きることは苦だという。
いま日本には40歳から60歳に至る引きこもりの人たちが大勢いると言う。
私はある意味で気持ちが少し分かるように思う。
私は引きこもりではないが学校が嫌いで30日以上行かなかった子供時代もある。
なぜ行かなないか。勉強も嫌だし、嫌な奴とも顔合わせたくない。
家にいれば快適だ。たぶん似た感じがあるんだろうと思うけど。
でも実際は快適じゃない。それはすぐにわかる。
強烈な脱落意識や疎外感、罪悪感と一緒に家にいるわけだ。
同じように彼らはなにがしかの世の中の痛みから身を守るため安産地帯に逃げ込んだけど…苦しいのに違いない。
結局はその砦も最後の最後まで彼らを守ってはくれない。
その人たちの面倒を見ている人が亡くなればその隠れ家にも終わりが来るのである。
彼らは彼らなりに戦ってきた思いがあるのだろうからそこは何も言わないし、ただ、そうやっていても決して楽ではないだろう。
楽なのではなく、苦しみから身を防ごうとしてそうなったのだと思う。
ただ思うことは「生きるのは苦なのだ」という事を知っていれば逆に少し楽に生きられたのだと思う。
そう知れば別に幸福じゃなくてもいいのだから。
今日も災いなく無事に生きられただけでも十分OKなのだ。
もとより現世は苦の娑婆だ。
誤解を恐れずいえば…幸福なんか探し求めて生きていったら逆に人生は間違いなく台無しになる。
得体も知れない概念だけの「幸福」に踊らされていく。
上座部仏教では苦の六道世界から消滅するために修行する。
大乗仏教ではそういう解脱は実のところはできないのだと考える。
だから苦を避けることなく、苦しみながら生きて行こう。
雨に打たれることは辛いがびしょぬれでも行こう。
風に吹きまくられて襟を立てて身を守りながら行こう。
どこにも隠れられない。
苦から逃れるすべはない。
釈尊が出家して得た結論は「一切皆苦」。
苦から逃れられない。
ここはそう。生きても死んでも苦の娑婆なのだ。