仏教では一切皆苦という。
生きていると色々な辛い目、悲しい目にもあいますが・・・それが生きているということだと思うのです。
なかには難病とかになって苦しみのたうつ凄絶な人生もあるが、そうでなくても基本的には生き物は自己を守るため常時苦しみを感じるようにできています。
御託を並べているのは我々が人間だからでほかの生き物は弱肉強食が普通。
目の前で子供が食べられ、親が殺され、仲間が連れ去られて、もう二度ともどることはない。
だから苦しいということと生きていることは同じ意味です。
苦しいはある意味当たり前です。まだ人間なのでいくらかましなのです。
楽しいばかりの人生などありえない。
そんなものは絶対にない。
むしろなにかしらいつも苦とともにあるののが普通です。
絶対の幸福みたいなものを求めれば…常に痴心を慰めんと享楽にふけって身を亡ぼす。
家財を蕩尽する。
麻薬や酒や色欲におぼれる。
果ては邪教にたぶらかされる。
瞑想でなく妄想にふける。
現実逃避の世界に逃げ込む。
それらは苦を癒さずに、さらに大きくしていくだけです。
どこに行っても逃げ場などない!
苦は苦として受け止める 悲しみは悲しみとして受け止めるのが本当の仏法だ。
この世は大変だ。生きているのも大変だ。誰でも終いには老いて病んで死ぬのだ。
だからこそ慈悲も喜びも涙も必要なのだ。
いつも楽しくルンルンで何が起きても全然平気ですなどと言う人は現実を見ないのか、頭がいかれているだけです。
苦は当たり前、のがれられない と知るところに真の強さが生まれるのではないだろうか。