最近ニュースになるようにいろいろなことで傷ついて自殺を図る人々がいる。
釈尊は世間をさして「一切皆苦」であるとしている。
なら世の中は生きるに値しないのか?
人生に意味はないのか?
私は与えられた命を生きること以外はわからない。
多分生きる目的は生きることだけだろうと思っている。
命があること喜ぶ。それが生きること。
だからどんな生き物でも好きだ。生きているからだ。
私の生き物好きの原点はそこだ。
死んだらライオンや鷲の立派な剥製よりも生きたミミズやダンゴムシの方が輝いている。
私は自分を周囲を曼荼羅で考えている。
だれでもそうだ。私だけじゃない。
皆さんは皆さんで皆さん曼荼羅。
私は私で私曼荼羅。
別尊曼荼羅というのがある、中尊は様々、観音さんだったり、阿弥陀さんだったり、御不動さんや聖天さんもある。そしてその眷属もいる。
どこかに鬼や悪魔みたいのも書かれている。
そしてどんな中尊でも大日如来として真ん中にいる。
私曼荼羅は私が中心だけど私は主尊の私だけじゃない。
私を形作り、私の性格や特性や様々な自分は周囲とのかかわりで初めて存在する。だから私の周囲も含めて私なのだ。それ以外に自分はない。
切り離しはできない。
全体即一だ。それが曼荼羅だ。
そう思えば辛いも悲しいも自分のうちにある。
こころのうちだけではなくかかわりの中にある。
自分の曼荼羅を生きよう。
苦しみも悲しみもその曼荼羅のかかわりのなかにある。
自分曼荼羅を拝む。
鬼や悪魔も自分曼荼羅のなくてならない構成員だ。
全て自分曼荼羅の内だ。その中尊は貴方だ。
中尊はすべてを加持し生かしている。
そして諸尊や眷属も中尊を加持している。
そういう生き方をして曼荼羅全体が輝くように生きていこう。
かの弘法様はマンダラをまず理解せよと言われている。
曼荼羅を生きる。
それが密教の生き方だと思う。