金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

憂い悲しみの品格

維摩経のなかで深い悟りに達した維摩吉が病の所以を問われ、「衆生病むが故に我病む」と答える。

観世音菩薩も衆生の苦しみが救いきれないから涙してそこから多蘿菩薩が生まれたという。

オウム真理教は絶対歓喜、絶対至福を説いて魔道に人を誘った。だがそれは薬剤などで作った幻想だ,、

人である以上、憂い悲しむことはなくならない。

ただ達人はその憂い悲しみの質が変わるのだと思います。

人間は納得の生き物、すべてにおいて「むべなるかな」と納得が行くのなら自ずと歓喜と至福は訪れるのではないか。