易は兆しの学問。
君子は占わずという。
兆しをその場でその場で読めるというもの。
ただしそれは達人の領域だ。
普通はそうはいかない。
易のことはともかく兆しを読む事自体はとても大事だ。
それはまず身近には人の言動にあると思う。
この人があの時こんなことを語った。
あの人はあの時ああいうことをした。
人の言動自体が予言でもある。常にそうだ。
それも良くも悪くもすべて兆しだ。
動物に言葉はないが彼らは無言のうちに兆しを受け取っている。
そこに未来の展開が見て取れる。
それで判断する。
良くも悪くも口から出た言葉は取り消しもできる。
改めもできよう。たとえ、気に入らぬ言動でも時がたてば忘れることもできれば、許すこともできる。
だが、兆しの取り消しはない。